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シュヴァンクマイエルの『アリス』

Posted by AK on 23.2007 映画   6 comments   0 trackback
Tag :シュヴァンクマイエル アリス Alice クレイアニメ 小児性愛
幼年期に「終り」はない!
スメタナの祖国が生んだ地上最強の少女映画


 昔、繰り返し読んでいた童話がある。ハンス・クリスチャン・アンデルセン作『眠りの精のオーレ・ルゲイエ』。図鑑ほどのサイズもあるアンデルセン全集で、私はこの話ばかりを読んでいた。

 中国の女性とチャットをしたとき、子供の頃にいちばん印象深かった本は何か、という話になり、私はアンデルセンの名を挙げた。「へえ、偶然。私もなの」と彼女は言い、好きな場面やエピソードを矢継ぎ早に畳み掛けてきた。私は内心焦った。いちばん印象深いのは間違いないが、憶えている話といえば「オーレ・ルゲイエ」だけなのだ。

 殴れば人も殺せそうな童話全集の中で「オーレ・ルゲイエ」だけを何度も読み、逆にそれ以外の話は鼻歌雑じりで斜めに眺めただけ。『赤い靴』の主人公が何色の靴を履いていたかも憶えていない有様だ。彼女は『人魚姫』がお気に入りだと言ったが、はてそのお姫様が魔女にもらったものは手か足か。いや、髪の毛だったかな?

 「オーレ・ルゲイエ」は夢の物語だ。オーレは北欧の伝承に登場する睡魔の一種で、彼の持つ魔法のミルクを瞳に受けた子供はたちまち深い眠りに落ちる。物語では、7晩の夢の冒険をする少年が登場し、絵画の中の泉からオモチャの兵隊の結婚式まで様々な場所を探訪した。子供にとって、もっとも身近でアクセスしやすい非現実は夢である。ディズニーアニメのように、魔法の粉に包まれて異世界を冒険するといった趣ではなく、あくまでも「身近」なファンタジーとして夢は有効的だ。

 子供の世界と夢は親和性が高い。この手の物語が古来から独特の魅力を放ってきたのも、夢が単純な非現実ではなく、それが紛れもない現実の一部だったからであろう。たとえば空を飛ぶ夢にしても、一足飛びで深宇宙の彼方へジャンプできるというものではなく、電柱の高さ以上は浮遊できないとか、何か道具を使わなければ飛行できないとか、理不尽な制約があるのも夢の魅力である。

 近年もっとも成功を収めた夢の物語といえば『不思議の国のアリス』であり、そのパロディという断り書きがありながら類例を遥かに引き離すクオリティを見せた実写映画が、チェコのヤン・シュヴァンクマイエル監督による『アリス』である。本場英国でさえ「アリスの実写化」には微妙な作品が多い中、自らの幼児体験を下地に複雑怪奇で幻想的なワンダーランドを構築してみせたシュヴァンクマイエルは、童話フリークやシュルレアリストに感嘆と称賛の嵐をもって迎えられた。

 シュヴァンクマイエルの『アリス』は、ルイス・キャロルこと数学講師チャールズ・ドジソンによる童話『不思議の国アリス』を念頭に置いてはいるものの、その完全な実写映画化作品ではない。冒頭で“Inspired by Lewis Carroll's Alice In Wonderland”とクレジットされているように、あくまでもパクリ、じゃなくてインスパイア作品であるとのことだ。オマージュとかリスペクトとか、ああいう感じである。飲ま飲まイエイである。

 シュヴァンクマイエルは、この映画を自らのプライベートフィルムと位置づけている。3年の歳月を経て作り上げられた彼の「アリス」は、彼自身の幼年期の暗喩なのだそうだ。シュヴァンクマイエルへのインタビューを掲載した『アリス』のライナーノーツが手元にあるが、彼はその中でこう述べていた。

 「私は未だかつて自分の幼年期を、何かもう既に過ぎ去ったもの、何処かに置き去りにして来たものとして見たことは一度もありません」

 彼の「アリス」は冒頭、英国流のポップでカラフルな子供部屋とはかけ離れた、虫の死骸や壊れた人形が転がる薄暗い部屋に横たわっている。ふと隅に目をやると、そこにはガラスケースに収められた白兎の剥製が。兎は自らの意思で動き出し、釘で固定された両腕を引き抜いて騎士の装いを身に纏う。彼は鋼鉄の裁ちばさみを携え、岩と土くれが漠々と広がる荒野へ駆け出すのだ。彼を追って飛び出すアリスは、緩やかな丘の上に1脚の机を見つけ、その引き出しから遥かな地下の国へ迷い込む。

 インスパイアということで、細部に渡って「原作」からのアレンジが加えられている点もこの映画の魅力だ。アリスが不思議の国へ向かう直接の入り口である「兎の穴」は、本作では歪な木製エレベータへと変更されている。巨大な歯車で緩やかに下降するそれは正面の壁が抜けており、階層ごとに並ぶ棚には様々な物が並んでいる。ジェニー・ハーニバス(合成標本)や瓶詰めの画鋲、捨てられた人形など。

 エレベータは加速する。「Exit」と書かれた階層を過ぎたあたりでアリスは床を突き破り、直下の部屋へと投げ出される。このエレベータはシンドラー社製に違いない。ここから、アリスにとって文字通りの悪夢が始まるのだ。この映画が一部の層から「少女いじめ」と反発を買う原因も、ひとえにシュヴァンクマイエルの子供じみた――それ故にリアルな――ガジェットへの偏愛がある。壊れかけていたり、理不尽な改造を施されていたり……。それに付き合わされるアリスは堪ったものではない

 この映画でアリス役を演じるのは、クリスティーナ・コホウトヴァーという女の子だ。いつ、どこで生まれたのか判然とせず、ネットを適当に探してみてもバイオグラフィーらしきものは見当たらない。ただ、見た感じは7、8歳ぐらいで、ふんわりとした金髪に大きなグリーンの瞳が特徴的な、恐ろしく可愛い子だ。まさしくそれは、絵に描いたような金髪幼女であり、近代映画史上5本の指に入る美少女子役と言って過言ではない。

 この150年で数多のジャンルにおいて試みられた「実写アリス」のどれをも凌駕する、クリスティーナ・コホウトヴァー演じる「アリス」。演技過剰で妙に大人びていたり、どんな困難にぶち当たっても頭の弱い子みたいに終始ニコニコ笑っていたり、そういうハリウッド的な不自然さがまったく見られない。劇中はほとんど仏頂面で、演技もまったく素に近い状態である。フナムシの缶詰に本気で驚いていたり、固い引き出しを無理矢理こじ開けようと必死の形相を見せたり、とにかく「素顔のアリス」が文句なしに素晴らしい。

 シュヴァンクマイエルはアップを多用する監督としても知られている。季刊コミッカーズ2001年秋号のインタビュー記事において彼は、「私にとって全体は静的なもの、細部は動的なもの」と述べており、物や人の動きを直接的に見せる手段としてアップを使っていることが分かる。

 ともあれ、劇中においてクリスティーナ・コホウトヴァーちゃんのドアップが度々映し出されるものだから、変態には堪らない映画だ。それこそ耳の穴から足の指先に至るまで、およそクローズアップされない部分はない。(ある種の人にとって)妙齢の金髪幼女を全方位から、あらゆる部位をズームするシュヴァンクマイエルのカメラは、もはや静と動のバランス云々というよりも、凝視のそれに近い病的なフレームワークである。

 また、パンチラどころかパンモロがあったり、スカートが胸の辺りまでたくし上げられていろんな部分が丸出しになったり、凝視というか窃視の方面でも十二分に満たされることうけあいである。もっとも、これらは狙って撮られた絵ではなく、単純に構図の問題や撮影中のハプニングなのであるが、そこがまた素敵。エコールとかいう退屈な映画を撮った誰かさんにはぜひとも見習っていただきたいものだ。後ろめたいエロスを排したノスタルジーなど、どこにもありはしない

 ある方面では、この作品をして「ロリコンの好みじゃないと思う。グロいし、暗いし」などと囁かれているのだが、とんでもない話だ。変態を舐めてもらっちゃ困る。たしかに、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールちゃんは俺の嫁、などとのたまう2次元専科のエセ変態には辛い作品かもしれないが、我が国古来の稚児趣味の正統な継承者である現代ロリコンにとっては、文字通り「夢のような」映画なのだ。

 幼年期は忘れるものでこそあれ、失うものではない。谷の底に落として永遠に取り戻せない時間ではなく、部屋のどこかに仕舞い込んでその在り処を忘れてしまった記憶のひとつに過ぎない。これに因れば、小児性愛とは、物覚えが悪い懐古主義者の極論であるとも言える。

 観念の話はしていない。多くの小児性愛者にとって、彼らの幼年期は美化されている。実際の生活が幸福であったか不幸であったかに拘らず、義務や責任といった社会性から遠く離れた場所で社会の庇護を受けるという矛盾した存在の「子供」を、彼らは信仰の対象としている。Wikipedia日本版には「子供に性的夢想を抱く人間」と表現されているが、言い得て妙といったところだろう。

 「子供というのは、教育者的立場よりむしろ小児性愛者の観点からの方がよりよく理解出来る」とは、ルイス・キャロルを指して言ったシュヴァンクマイエル自身の言。彼もまた、この言に則って「子供の世界」を再現せしめたアーティストのひとりなのだろうか。私見によると、小児性愛者とは子供になろうとする者のことである。

 『アリス』は、ヤン・シュヴァンクマイエル監督の長編デビュー作だ。それまでショートフィルムばかり撮っていたシュヴァンクマイエルが満を持してベルリン映画祭へ出品した本作は、第1作とは思えないほど冷静な作りであり、この手のクレイアニメを初見の人にも概ね評判がいい。2000年に発売された最初のDVDは長らく廃盤となっていたが、最近トールケースで再版されている。アート映画だからと身構えず、紅茶にクッキーなど頂きながら深夜にダラダラと見るのがお勧めだ。



  原題 “Něco z Alenky”
  1987年 スイス・西独・英国合作
  ヤン・シュヴァンクマイエル監督

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