『ダーク・ウォーター』
オカルトなんてお呼びじゃないリアル
ハリウッド随一の貧乏母娘物語、ここに極まれり
一時期、日本のホラー映画が「Jホラー」などと言われ、大層流行ったことがある。ここ十数年の話だろうか、『本当にあった怖い話』に端を発した平成ホラーブームはコピー作品の粗製濫造という袋小路に達し、今ではホラーという言葉すら聞かない。
私は「ホラーだから」とか「SFだから」などという理由で映画を見ない。私が映画を選ぶ基準はただひとつ、子供が出ているかどうかだ。それも、そこそこ整った顔立ちで、演技が達者な子。大根は脚も演技も御免こうむる。
映画『ダーク・ウォーター』は、しばしば「怖くないホラー映画」と形容される。そもそも「怖いホラー映画」など、ジャンル全体を見渡しても一握りしかないように思えるのだが、それはこの際置いておこう。スピルバーグは「伝えなければいけない物語があるなら、何よりもストーリーテリングを最優先する」と言った。純粋な観客である私も、これは同じ思いである。
この作品はホラーというより心理サスペンスであり、広義のスリラーであり、家族の物語である。神経症に悩まされながらも娘を失うまいと戦う母親の物語であり、両親が離ればなれになった寂しさから死者に魅入られる少女の物語だ。そこには、「親は子の神」というビジョンがたしかに通底している。
ジェニファー・コネリー演じるダリアは、幼い娘セシリアの親権を巡って元夫と対立している。「いいアパートを見つけたほうがセシリアをゲットな。ま、オレが勝つに決まってるけど」と、どこまでも小憎たらしい元夫を見返すため、ヒルトン姉妹もびっくりのセレブアパート探しへ奔走するダリア。しかし、無職の彼女に理想の物件など見つかるはずもなく、インチキ臭い不動産屋に案内された先は、ニューヨーク郊外ルーズベルト島にある前世紀の遺物みたいな集合住宅であった。
とはいえ、彼女は形振りを構っていられる立場でもない。住めば都とばかりに開き直り、「こんな汚いところはイヤ」と訴えるセシリアのつぶらな瞳も押し切って前金を払ってしまう。さあどうする、ここ絶対なんか出るよ姐さん。住んでる連中も住人ってより患者だし。神経細いのに、こんなところで暮らして大丈夫? ていうか娘の情操教育に絶対良くない。10年したらハッパ噛みだすぞきっと。
どうにかこうにか棲家を手に入れ、福祉企業の事務職にも就いたダリア。これであのボンクラ男にセシリアを取られることはない、なんとか2人だけの静かな生活を作るのよ、と息巻く彼女であるが、肝心のアパートは天井から盛大な水漏れ、幼い娘は見えないお友達とブツブツ話し出し、頭痛薬を飲めば丸1日眠りこけてしまう始末。幽霊より手強い日常を相手に孤軍奮闘する彼女は日に日に参っていく。
その他、同じ棟に住むDQN少年の陰険なセクハラとか、どこからどう見ても変質者全開な東欧訛りの老管理人とか、彼女の心労は絶えることがない。……これいちおうホラー映画だよな? 幽霊はどこ行った? まあ、それどころじゃないのは分かるんだけれども。
始終そんな感じで、超常現象なんて要らないぐらいシビアな境遇に置かれる母娘なのである。セシリアの「ニューヨークはあっち。こっち(ルーズベルト島)はちがう」という指摘通り、富める者とそうでない者とが明確に住み分けられた「格差社会」の本場アメリカは、日本の生ぬるいそれとは一味も二味も違うようだ。
さて、この映画の見所はなんといっても、上記の無駄にシビアな脚本以外に、それを演じる俳優たちへも注目したい。オスカー像の在庫一掃セールと言わんばかりの実力派と脇を固めるベテラン俳優たち、そして競争率900倍の全米オーディションを勝ち抜いた最強の子役は、さながらハリウッドのグリーンベレーといった感がある無敵の布陣だ。これで駄作になるわけがない。実際、俳優の掛け合いだけを見ても充分楽しめるレベルに仕上がっている。
アリエル・ゲイド。1997年5月1日、米CA州サンノゼ生まれ。劇中、アンテナ体質の少女セシリアを演じ、私のハートを鷲掴みにした6歳の女の子である。ジェニファー・コネリーの相手役として彼女と遜色ない演技を見せ、全米のペド野郎共の涙腺とカウパー腺を決壊させた期待の新人だ。
まんまるおめめとコラーゲンたっぷりのサラサラ髪、押せば返ってきそうなぷにぷにホッペ……。合格である。戦闘力6万5000である。もはや、21世紀のアナ・トレントと言っても決して過言ではない。
『ダーク・ウォーター』という作品自体がちょっとしたキワモノ扱いなために知名度は低いが、アリエルの強みは何もそのガチ幼女スタイルだけではない。先述した通り、本作中において実力派女優のジェニファー・コネリーと対を張るミラクルスキルを発揮し、ハリウッドの関係者全員が涙そうそう、私のムスコも白い涙で号泣だ。
全国の変態紳士諸君、もうダコタ・ファニングで一喜一憂している場合ではないぞ。我々が『宇宙戦争』でダコタ嬢の成長っぷりに涙している間も、こうして次代の幼女優がスクリーンデビューしているのだ。
劇中、拾ったリュックサックからお人形を見つけて「う〜♪」と喜ぶときのあの笑顔、あれが素でないとすれば只者じゃない。そのお人形をアパートの管理人にリュックごと取り上げられて、「来週まで待って持ち主が出てこなければやる」と宣告されたときの仏頂面、あれも演技だとすれば、彼女のスキルは天性のものなのだろう。部屋へ戻るときの、意地悪な管理人にベッと舌を出す場面で、何人のロリコンがKOされたことか。腐ってもハリウッド、優れた才能を発掘するノウハウは21世紀の今もなお健在である。
アリエル・ゲイドは現在、TVシリーズ『インベイジョン』に主人公の娘役で出演し、Young Artist Awardのベストパフォーマンス部門へノミネートされた実績を持つ。私はこのドラマを未見だが、公式サイトのギャラリーを見る限り『ダーク・ウォーター』の頃からまったく変わっていない。通な書き方をすると「劣化していない」。ぽちゃっとした愛くるしい容姿そのままで、まだ見ぬ次回作にも期待が持てそうだ。
子役の賞味期限は短い。人種や環境にもよるが、11、2歳ぐらいで別人のように変わってしまう。使えるうちは端役でも使いまわし、大作映画への起用を奨励し、各国労働法ギリギリの線で消化し尽くすべきだ。
もちろんそれは、役という役へマシンガンのごとく当てろという意味ではない。優秀なエージェントの優秀な仕事で、製作費をペイできるぐらいの皮算用は提示し、端数でちょっと冒険をさせるということだ。ちょうど、スピルバーグの大作映画を蹴ったジョデル・フェルランドが『ローズ・イン・タイドランド』でその地位を不動のものとしたように、である(あの作品が採算を取れていたかどうかは知らない。もっとも、監督のテリー・ギリアムは諸事情から「米国版DVD不買運動」の先陣を切っていると風の噂に聞いた)。
アリエル・ゲイド。この名前を憶えておくといい。彼女が万が一、何かの作品でブレイクし「期待の新星!」などと喧伝されようものなら、即座に「ああ、ダーク・ウォーターに出てた丸っこい子ね」と通ぶれることうけあいである。もっとも、よほど打ち解けた場でない限りは下手に通ぶらないほうがいいかもしれないけれど。
原題 “DARKWATER”
2005年 アメリカ映画
ウォルター・サレス監督
ハリウッド随一の貧乏母娘物語、ここに極まれり
一時期、日本のホラー映画が「Jホラー」などと言われ、大層流行ったことがある。ここ十数年の話だろうか、『本当にあった怖い話』に端を発した平成ホラーブームはコピー作品の粗製濫造という袋小路に達し、今ではホラーという言葉すら聞かない。
私は「ホラーだから」とか「SFだから」などという理由で映画を見ない。私が映画を選ぶ基準はただひとつ、子供が出ているかどうかだ。それも、そこそこ整った顔立ちで、演技が達者な子。大根は脚も演技も御免こうむる。
映画『ダーク・ウォーター』は、しばしば「怖くないホラー映画」と形容される。そもそも「怖いホラー映画」など、ジャンル全体を見渡しても一握りしかないように思えるのだが、それはこの際置いておこう。スピルバーグは「伝えなければいけない物語があるなら、何よりもストーリーテリングを最優先する」と言った。純粋な観客である私も、これは同じ思いである。
この作品はホラーというより心理サスペンスであり、広義のスリラーであり、家族の物語である。神経症に悩まされながらも娘を失うまいと戦う母親の物語であり、両親が離ればなれになった寂しさから死者に魅入られる少女の物語だ。そこには、「親は子の神」というビジョンがたしかに通底している。
ジェニファー・コネリー演じるダリアは、幼い娘セシリアの親権を巡って元夫と対立している。「いいアパートを見つけたほうがセシリアをゲットな。ま、オレが勝つに決まってるけど」と、どこまでも小憎たらしい元夫を見返すため、ヒルトン姉妹もびっくりのセレブアパート探しへ奔走するダリア。しかし、無職の彼女に理想の物件など見つかるはずもなく、インチキ臭い不動産屋に案内された先は、ニューヨーク郊外ルーズベルト島にある前世紀の遺物みたいな集合住宅であった。
とはいえ、彼女は形振りを構っていられる立場でもない。住めば都とばかりに開き直り、「こんな汚いところはイヤ」と訴えるセシリアのつぶらな瞳も押し切って前金を払ってしまう。さあどうする、ここ絶対なんか出るよ姐さん。住んでる連中も住人ってより患者だし。神経細いのに、こんなところで暮らして大丈夫? ていうか娘の情操教育に絶対良くない。10年したらハッパ噛みだすぞきっと。
どうにかこうにか棲家を手に入れ、福祉企業の事務職にも就いたダリア。これであのボンクラ男にセシリアを取られることはない、なんとか2人だけの静かな生活を作るのよ、と息巻く彼女であるが、肝心のアパートは天井から盛大な水漏れ、幼い娘は見えないお友達とブツブツ話し出し、頭痛薬を飲めば丸1日眠りこけてしまう始末。幽霊より手強い日常を相手に孤軍奮闘する彼女は日に日に参っていく。
その他、同じ棟に住むDQN少年の陰険なセクハラとか、どこからどう見ても変質者全開な東欧訛りの老管理人とか、彼女の心労は絶えることがない。……これいちおうホラー映画だよな? 幽霊はどこ行った? まあ、それどころじゃないのは分かるんだけれども。
始終そんな感じで、超常現象なんて要らないぐらいシビアな境遇に置かれる母娘なのである。セシリアの「ニューヨークはあっち。こっち(ルーズベルト島)はちがう」という指摘通り、富める者とそうでない者とが明確に住み分けられた「格差社会」の本場アメリカは、日本の生ぬるいそれとは一味も二味も違うようだ。
さて、この映画の見所はなんといっても、上記の無駄にシビアな脚本以外に、それを演じる俳優たちへも注目したい。オスカー像の在庫一掃セールと言わんばかりの実力派と脇を固めるベテラン俳優たち、そして競争率900倍の全米オーディションを勝ち抜いた最強の子役は、さながらハリウッドのグリーンベレーといった感がある無敵の布陣だ。これで駄作になるわけがない。実際、俳優の掛け合いだけを見ても充分楽しめるレベルに仕上がっている。
アリエル・ゲイド。1997年5月1日、米CA州サンノゼ生まれ。劇中、アンテナ体質の少女セシリアを演じ、私のハートを鷲掴みにした6歳の女の子である。ジェニファー・コネリーの相手役として彼女と遜色ない演技を見せ、全米のペド野郎共の涙腺とカウパー腺を決壊させた期待の新人だ。
まんまるおめめとコラーゲンたっぷりのサラサラ髪、押せば返ってきそうなぷにぷにホッペ……。合格である。戦闘力6万5000である。もはや、21世紀のアナ・トレントと言っても決して過言ではない。
『ダーク・ウォーター』という作品自体がちょっとしたキワモノ扱いなために知名度は低いが、アリエルの強みは何もそのガチ幼女スタイルだけではない。先述した通り、本作中において実力派女優のジェニファー・コネリーと対を張るミラクルスキルを発揮し、ハリウッドの関係者全員が涙そうそう、私のムスコも白い涙で号泣だ。
全国の変態紳士諸君、もうダコタ・ファニングで一喜一憂している場合ではないぞ。我々が『宇宙戦争』でダコタ嬢の成長っぷりに涙している間も、こうして次代の幼女優がスクリーンデビューしているのだ。
劇中、拾ったリュックサックからお人形を見つけて「う〜♪」と喜ぶときのあの笑顔、あれが素でないとすれば只者じゃない。そのお人形をアパートの管理人にリュックごと取り上げられて、「来週まで待って持ち主が出てこなければやる」と宣告されたときの仏頂面、あれも演技だとすれば、彼女のスキルは天性のものなのだろう。部屋へ戻るときの、意地悪な管理人にベッと舌を出す場面で、何人のロリコンがKOされたことか。腐ってもハリウッド、優れた才能を発掘するノウハウは21世紀の今もなお健在である。
アリエル・ゲイドは現在、TVシリーズ『インベイジョン』に主人公の娘役で出演し、Young Artist Awardのベストパフォーマンス部門へノミネートされた実績を持つ。私はこのドラマを未見だが、公式サイトのギャラリーを見る限り『ダーク・ウォーター』の頃からまったく変わっていない。通な書き方をすると「劣化していない」。ぽちゃっとした愛くるしい容姿そのままで、まだ見ぬ次回作にも期待が持てそうだ。
子役の賞味期限は短い。人種や環境にもよるが、11、2歳ぐらいで別人のように変わってしまう。使えるうちは端役でも使いまわし、大作映画への起用を奨励し、各国労働法ギリギリの線で消化し尽くすべきだ。
もちろんそれは、役という役へマシンガンのごとく当てろという意味ではない。優秀なエージェントの優秀な仕事で、製作費をペイできるぐらいの皮算用は提示し、端数でちょっと冒険をさせるということだ。ちょうど、スピルバーグの大作映画を蹴ったジョデル・フェルランドが『ローズ・イン・タイドランド』でその地位を不動のものとしたように、である(あの作品が採算を取れていたかどうかは知らない。もっとも、監督のテリー・ギリアムは諸事情から「米国版DVD不買運動」の先陣を切っていると風の噂に聞いた)。
アリエル・ゲイド。この名前を憶えておくといい。彼女が万が一、何かの作品でブレイクし「期待の新星!」などと喧伝されようものなら、即座に「ああ、ダーク・ウォーターに出てた丸っこい子ね」と通ぶれることうけあいである。もっとも、よほど打ち解けた場でない限りは下手に通ぶらないほうがいいかもしれないけれど。
原題 “DARKWATER”
2005年 アメリカ映画
ウォルター・サレス監督

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