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『Lotta Love』

Posted by AK on 11.2007 音楽   0 comments   0 trackback
Tag :m-flo lotta love B系 MINMI
ガチンコ小学生が過激に踊りまくり、飲みまくり
現代版『ダウンタウン物語』はB系でノリノリです


 生涯で最初に買ったポップスアルバムがglobeのファースト、といえば何やら自分が健全な20代に思えてくる。アッパーミドルに憧れていた母親のせいで、私は幼少時からバイオリンを嗜んでおり、家のリビングでかかるBGMもロマン派を中核とした19世紀の西欧クラシック音楽であった。そんな私がなぜglobe。これには海よりも深いわけがある。

 小学生時代はまだいい。ちょっとぐらい流行りの音楽に疎くたって、それは個性の一環としてスクールカースト内で一定の地位に安住できる。だが、同級生らが次々と俗化されていく中学時代となると、そうはいかない。小室ファミリーを全員知らなければ人間じゃないと言わんばかりの重苦しい空気。毎週金曜日はドラえもんじゃなくてミュージックステーションを見るのが日本の中学生の正しいライフスタイル、という無言の圧力

 正直、日本のポップスがそれほど質の高いものとは(今でも)思えないのだが、文化としてのポップスが個人の嗜好よりも優先される我が国の悪しきAVEXストリームにはちょっと抗い難い。20代も半ばを過ぎた今となっては、そんなものは至極どうでもいいことの部類に入るのだけれど、多感な中学時代となればそうもいかないのだ。

 農林水産省が病気まみれの米国産牛肉を買わなければならないように、日本の中学生はナケナシのお小遣いをAVEXのCDへつぎ込まなければいけない……10年前はそんな時代であった。私の周りだけかもしれないけれど。

 そういうわけで、中学生時分の私がひと月の小遣いを全額出して買ったのが、globeのアルバムなのである。とは言ってもこれ、実を言うと、今聴いてもまんざらでもないCDなのだ。何せ中学時代である。物の印象や思い出がいちばん残りやすい時期に買ったアルバムである。心に残らないわけがない。深夜FMで『Precious Memories』が流れて目頭を熱くするのは私だけではないだろう。

 時は流れて西暦2007年。恐怖の大王とかアホなことを言っていた人間を尻目に迎えた21世紀も小慣れた感がある現在、私は生涯2度目となるポップスアルバムの購入へ踏み切った。m-floの5thアルバム『COSMICOLOR』である。

 どうした俺。ロリコンをこじらせて頭がおかしくなったのか。これより前に買ったCDがヒルデガルト・フォン・ビンゲンの聖歌アルバムであるからして、何らかの変調が私の身を襲ったのではあるまいか。……これには、竹島領有権問題よりも根の深い理由が存在する。

 『COSMICOLOR』は、m-floが長らく続けてきた「loves Who」シリーズの最終作という位置付けであり、その販売形態は通常盤に加え、数百円ほど価格を上乗せしたDVD付きのパッケージがリリースされている。私が買ったのはこっち。DVD付き。というかこの特典DVD欲しさに買ったので、メインであるCDのほうは未だにアルバムケースから出していない

 このDVDには、loves MINMIのクレジットを冠した楽曲Lotta Love』のミュージックビデオが収録されている。VERBALやMINMIがクラブでノリノリに踊りまくり、脇を固めるエキストラたちの華麗なダンスも見ものの本作であるが、そこにはm-flo本人たちが1人も出演していない。いや本当に。

 じゃあ誰が出ているのかと言うと、そっくりな子供たちがVERBALや☆Taku、MINMIを演じ、クラブで遊んでいるエキストラたちも全員小学生という異色のミュージックビデオなのだ。ちなみに彼らがビデオの中で景気良くあおる白っぽいカクテルは、もちろん牛乳である。

 特筆すべきはMINMI役の女の子だ。もう、そっくりってもんじゃない。友人と一緒にこのビデオを見ていて、彼が発した第一声が「MINMIが小っちゃくなった!」であるからして、そのクリソツ加減が分かっていただけるだろう。おまけにこの子、ものすごく色っぽい。若きジョディ・フォスターのような病的な色っぽさではなく、きわめて健康的に色っぽい。たぶん虫歯とか1本もないよこの子。パンツは見えているし、言うことナシだ(コマ送りで確認。まあ見せパンだろうけど)。

 衣装のほうもなかなかツボを突くチョイスである。足の次にヘソが大好きな私が大喜びするコスチューム、と書けばどんなものかは大体想像がつくだろう。バックで踊っている子たちも、乳首ぐらいは隠れますと言わんばかりの過激なコスチュームだったり、やたらとおっぱいが大きな子がいたり、フリフリのフリル付きミニスカートで腰をフリフリしているアグレッシブな子がいたり、まるで欧米のアングラ子供ファッションショーといった風情である。ジョンベネちゃんが在籍してたアレね。

 B系でキメた子供たちが器用にダンスをするミュージックビデオといえば、EXILEの『Choo Choo TRAIN』が思い起こされる。が、この『Lotta Love』はそうした類例を遥かに引き離し、2007年現在におけるベスト・オブ・変態ミュージックビデオだ。

 大体、EXILEのあれはちゃんと本人たちが登場し、子供たちは彼らを引き立たせるオマケ的演出でしかなかった。それに対しm-floのほうは、主役共々ガチのオール小学生、見渡す限りのロリコン天国である。ネバーランドである。ロリコンが夢見るネオテニーの桃源郷が、そこには存在する。

 このミュージックビデオを見ていて気づいたことがひとつある。子供の動きにはブレがあるのだ。いかに達者なダンスを繰り広げようと、大人のダンサーにはないブレが、彼らが年端のいかない子供であることを否応なく認識させられる。

 大人の重たい四肢をコントロールすることを主眼としたブレイクダンスを、全体重で30kgもないような子供にやらせればブレのひとつぐらい出て当然なのだろう。が、そこに私はどうしようもない場違い感、シュール絵画におけるデペイズマンのようなものを感じるのである。

 要するに『ダウンタウン物語』なのだ。大人の役を子供が演じ、大人の物語を子供が語るあれは、大人社会の縮図云々という話よりもまず、かつて我々が子供の頃にスペキュレートしていた世界の姿という観点で論じられなければならない。

 『不思議の国のアリス』の映像化の歴史において、アリス役に成人女性を起用したパチ物が多い中、ヤン・シュヴァンクマイエルが敢えてガチンコ金髪幼女で映画を撮った理由が、そこにはある。大人のマネをしたところで大人にはない「ブレ」を自覚させられた子供時代、それを忠実に再現することこそが、大人が子供を描く際に有効なたったひとつのリアリティなのだ。

 さて、この『Lotta Love』というミュージックビデオに、私はひとつ注文をつけたい。このビデオを撮影するにあたって、オーディションからトレーニング、カメラテストや演出の決定など、製作サイドの労苦には計り知れないものがあるだろう。そこで、それらを時系列に収めた60分枠のドキュメンタリー映像作品をリリースして、関係者の労苦を供養されてはいかがだろうか。ドニー・ダーコのエントリーでも似たようなことを書いていた気がするけれど、私はいつだって本気だ

 「Making of Lotta Love! MINMI役のあの子のオーディション、撮影、SPACE SHOWER Music Video Awardsの特別賞受賞までを追った、笑いあり涙あり激動の60分! 君は刻(とき)の涙を見る……」

 どうだろう。すごく面白そうではないか。ガチペド変態ロリコン、じゃなくて子供好きのお兄さんお姉さんに大受けしそうな企画じゃないか。TV局の連中も、納豆ダイエット捏造とかサクラ街頭インタビューとかアホなことやってないで、こういうニッチな需要へ地道に応えていけば視聴者を再び騙くらかせ、いやまた間違えた、視聴者の信頼を取り戻せるかもしれないのに、なぜそれをしないのだろう。

 というか私これ、このミュージックビデオのメイキングドキュメンタリー、かなり本気で見たいんですがどうですか、関係者の皆さん。6000円までなら出せるぞ。



  m-flo loves MINMI 『Lotta Love』
  2006年 日本作品
  久保茂昭監督
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