君はチラリ

メディアの中の少女たち。
ヒロインからエキストラまで。

君はチラリ

メディアの中の少女たち。
ヒロインからエキストラまで。

君はチラリ

メディアの中の少女たち。
ヒロインからエキストラまで。

スポンサーサイト

Posted by AK on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『どうにかなる日々2』

Posted by AK on 30.2007 漫画   0 comments   0 trackback
Tag :どうにかなる日々 志村貴子 ブルマー スクール水着 マンガ・エロティクスF
ロングヘアーの幼馴染! ススんだ従姉妹はAV嬢!
定型からリアルを引き出す珠玉の青春短編


 漫画でもアニメでも、現在のロリ系アダルトメディアは30代以上をボリュームゾーンとして展開されている、と私は断言したい。即ちブルマー、スクール水着を現役で拝んできた世代だ。

 私はブルマーにもスクール水着にも興奮しないし、これを着用した女児にもまったく興味が沸かない。ロリコンとしてあるまじきことと思われるかもしれないが、その原因ははっきり自覚している。私自身が小学生、中学生のときには、すでに教育現場からこれらのユニフォームが撤去されており、同級生たちは色気のないハーフパンツや市販の水着で体育の授業を受けていた。私はブルマーやスクール水着に格別の思い入れがない。よって、これらのイコンに性的興奮を覚えることもない。

 ロリ系のイラストサイトなどを巡ると、必ずと言っていいほど描かれているのが「ブルマー、スク水」である。私はネットを始めた当初、こんなものに興奮する奴らの気が知れない、と常々思っていた。また、某いもうと倶楽部における標準コスチュームも、やはりブルマーとスクール水着である。モデルの女の子たちは「なにコレ? 窮屈だしキモーイ」などと思いつつ、お仕事モードで笑顔を切り売りしているのだろうが、「なにコレ」と言いたいのは私も同じだ。

 私としては、全員が全員バリエーション皆無の画一的なコスチュームでポーズをキメたスマイル写真よりも、ガチの私服で指定ポージングなし、表情作りなし打ち合わせなしのガチンコ撮影のほうが万倍萌えると思うのだが、賛同者は果たしていてくれるだろうか。ただしそれは、自然な表情やポーズが企画物のそれより美しいなどという綺麗事ではなく、第三者の意図が入らない彼女たちの「素」を覗き見れるかもしれない、という窃視趣味的な話なのであるが。

 近年最高の青春漫画のひとつに数えられるべきであろう『青い花』を連載中の志村貴子は、それ以前に連作短編集『どうにかなる日々』を上梓している。これは、ガロ系と言うほどハードコアでもないけれど四季賞作家ほど浮き足立ってもいない面子が揃う、太田出版のオサレ漫画雑誌「マンガ・エロティクスF」に定期連載された作品を集めた短編集で、誌名の通り全体的なトーンはエロい。ゲイ、レズ、ロリにショタと、およそ変態的なセックスはひと通りぶっ込んでみましたという感じの精力的な作品である。

 ここで問題にしたいのは、続刊の『どうにかなる日々2』だ。各エピソードの扉絵がことごとくブルマー、スク水を着用した女児の絵で、それも本編とは何の関わりもないという放置ぶり。なぜブルマー、スク水なのかといえば、本人が好きだから描いているのだろうとしか分からない。女装少年と男装少女の悶々とした日常を活写する『放浪息子』で全国の変態を虜にした志村氏ならではの、敢えて定型を取り上げることによって変態度MAXな本編へのアイロニーを試みたとも取れるが、この作家にそんな甲斐性があるとはちょっと思えないので、おそらく彼女自身の趣味なのだろう。

 この『2』には、しんいち君とみかちゃんという小学5年生のカップルが登場する。親戚のお姉さんがAV嬢で、その影響であんなことやこんなことを……というエロゲみたいな短編。ただしこれは茜新社の漫画ではないので、フルコンタクトな行為描写は行われていない。純粋な性への興味から終始淡々と事態を進めるみかちゃんと、そんな彼女の態度へ大いに困惑するしんいち君の対比が妙にエロく、チンコを用足しの道具としか見ていなかったあの頃の甘酸っぱい感覚が鮮明に蘇ってくる。

 気まぐれに出演したAVが両親にばれて勘当を食らい、しんいち君の家に転がり込んできた小夜子という従姉妹の女性。彼女はしんいち君の部屋の押入れに寝具を持ち込み、ドラえもんのような生活を送っている。しんいち君はそんな彼女を適当にあしらいつつも、「従姉妹がAV嬢」という男の夢的シチュエーションからか、白い涙でパンツを汚す毎日なのであった。そこへきて、幼馴染のクールな女の子が「そのビデオもう見た?」「見ようよ。音消すから」と無意識の攻勢をかけてくるものだから堪らない。どうなるしんいち君、危うししんいち君。おしまいまで彼の貞操は守られるのだろうか?

 幼馴染のロングヘアー少女こと、徳永みかちゃんの第二次性徴アタックは続く。しんいち君が夢精パンツを健気に洗っているところへやってきて「おねしょしちゃったの?」。仲良く向かい合って学校の宿題に取り組めば「私しんちゃんと結婚すんのかな」。とどめは帰り際の「明日はしんちゃんがうちにおいで」。そんな2人の馴れ初めを押入れの中でじっと聞き入っていた小夜子嬢は、みかちゃんの不穏な言動でメダパニ状態のしんいち君に「誘われてるんだよ」と追い討ちをかける。

 うーむ羨ましい。けしからん。こんな体験をしてみたかったものだ。私はせいぜい、仲良しになった女の子と手をつないで歩いているときに、同じクラスのハナ垂れ糞餓鬼共から「やーいやーい、エロいぞこのやろー」と偏差値の低い嫌がらせを受けたぐらいである。AV嬢の従姉妹なんていないし、第一、私は夢精というものをあまり経験していない。いや本当に。中学に上がって級友に「お前オナニーって知ってるか?」と訊かれたとき、そんなものは知らんと真顔で答えてオオカミ少年呼ばわりされた悲しい過去が、昨日のことのように思い出される。まったくあのマスカキ猿共が。

 しんいち君とみかちゃんのエピソードには後日談がある。中学3年生になった2人が、小夜子の亡霊(例のAVやそれを巡るアレコレの話)に囚われつつも堅実な関係を維持しようとする、地味な青春物語だ。

 ここで2人は単なる幼馴染という一線を越え、どうやら男女の関係を持った「らしい」ことが仄めかされている。あくまでも仄めかされているだけ。小夜子のAV(しんいち君からボッシュート済み)で気分を盛り上げたみかちゃんがこっそりオナニーに興じる場面や、DQNカップルの隠れ盛り場こと理科準備室で乳繰り合う場面などが挿入されてはいるが、決定的な描写は意図的に避けたようだ。

 この作品は、思春期前の小学5年生から思春期真っ只中の中学3年生に渡って、幼馴染という微妙な関係にある男女のくんずほぐれつを描いた秀逸な連作短編漫画である。この手の漫画を探そうとすると、テーマがテーマだけにどうしても成年コミック方面へと走りがちであるが、どっこい一般誌でも描いている人は描いている。未見の方にはぜひお薦めしたい1冊だ。

 当初の話に戻るが、ブルマーやスクール水着というアイテムはもはや神話である。かつて存在し、今も伝えられてはいるが、その意義が忘れ去られつつある前世紀の記号だ。私のような人間からすれば、意味のよく分からない記号は解読されねばならないのだが、現在のところその手掛かりは失われたままなのである。

 言わばヒエログリフみたいなもので、それに対応するギリシャ文字が見出されない限り、一部の伝承者や考古学マニアを熱狂させる無意味な装飾記号に過ぎない。ロゼッタストーンが必要なのだ。ブルマーやスクール水着の意義を現代に伝える、新旧両文併記の画期的な石碑が。

 そうでなければ私のような新世代のロリコンは、ぽっかりと空いた歴史の空白に翻弄され、苦虫を噛み潰す思いでそれらを眺める羽目になるだろう。良かれと思って描かれた穴開きスク水プレイも、運動会から連れ出した体操服女児への悪戯という反社会的構図も、それらを知らない世代へ翻訳する言語が欠ければ描き手や現役世代の自意識へ留まり、COMIC LOのようなニッチな雑誌にしたところで読み飛ばされるページが増える一方だ。

 現に私は、これらのアイテムをメインに起用した作品は斜め読みで済ます傾向にある。定価700円の元を取るには、記号と化したコスチュームの意味を再発見する必要があるのではないか。メディアリテラシー問題の深刻な一側面が、ここには存在しているように思う。



  『どうにかなる日々2』
  2004年 太田出版
  志村貴子 著
スポンサーサイト

『裂けた旅券』

Posted by AK on 20.2007 漫画   0 comments   0 trackback
チョイ悪オヤジとエロカワ少女
人種も年齢も越えて、巴里は今夜も燃ゆる


 少し前まで、活動を停止した作家の足跡を辿るのは大変だった。それがマイナーな作家であれば尚更だ。作品は作家にとって生存報告のようなもので、作品を上梓することが即ちタイムカードを打刻するに等しい。インターネットの普及に伴って、かのような事態も多少は打開され得ると期待したが、実際はなかなか難しいようである。

 404 NOT FOUND。接続先が消滅または存在しないことを意味するエラーコードのひとつ。これが表示されてしまえば、金田一耕助だろうが帝国データバンクの調査員だろうがお手上げだ。私は幾人かの漫画家の個人HPやブログをブックマークしているが、最近その内のいくつかがデッドリンクと化していた。だが、それらをブックマークから外すことは敢えてやらない。経路障害で一時的に見えなくなっているだけかもしれないし、何より「そこにWEBサイトがあった」という根拠を根こそぎ消してしまうような感じがして、腰が引ける。また、後々に別のクエリで検索してみたらあっさりと移転先が見つかった、なんてこともあり得なくはない。

 御厨さと美という漫画家は、フルネームでググれば1万4000件ほどヒットする。だがその代表作となると、途端に1000件台にまで落ち込んでしまうから不思議だ。一応「ビッグコミック」で連載されていたメジャータイトルであり、漫画文庫にもなっており、「Yahooオークションで高値をふっかけられながら落札するも、送られてきたのは表紙の写真だけ」などという極悪事例には当てはまらない。ただし、20年ほど前の漫画作品なのだが

 その御厨さと美の個人HPだが、昨年まではどうにかアクセスでき、日記もマメに更新されていた。だが今年に入って久々にアクセスしてみるとサーバステータスは404。単に契約更新を忘れたのか自ら閉鎖したのか。ネット時代全盛といっても、「消えた漫画家」が本当に消えてしまえば取材も追跡も困難になる状況は何ひとつ変わっていないようである

 御厨さと美『裂けた旅券(パスポート)』。私は中学生ぐらいのときに、父親の蔵書だったこの漫画作品を楽しんでいた。単行本の内1冊はページの脱落を起こしており、かなりのビンテージ物であることが見て取れる。親子2代で読み継がれた漫画なのだから当然だ。単行本は全7巻あり、我が家には7冊すべて揃っている。版を見ると、父親は1982年から買い揃え始めたようだ。25年も前である。しかし、月並みな表現を敢えて使うと「古さを感じさせない画風」で、21世紀の現在に本棚から引っ張り出して読んでも、充分観賞に耐え得る漫画だ。

 羅生豪介(らもう・ごうすけ)という在仏日本人の中年男が主人公。物語の最初のうちは、自前のパスポートで日本人観光客のアテンドをしたり、圧政に苦しむ東ヨーロッパの著名人が記した自由主義宣言書を西側へ運び出したりと、何やら「不良外人」の様を呈するも、単行本2巻の終わりを境に状況が変わってくる。13歳の少女娼婦、マレッタの登場である

 フランス首都パリといえば、ブローニュの森という有名な観光地がある。ここは保護林であると同時に伝統的な売春のメッカであり、日没後はロングコートの下に過激なインナーをチラつかせた「夜の貴婦人」たちが列をなして客待ちをするという、別の意味でも観光客に人気のスポットだ。孤児であるマレッタ・クルージュは、ここの売春宿のひとつに引き取られて客を取っていたのだが、ある事件がきっかけで豪介を身許保証人とし、彼のアパートへ居つくことになる。このあたりから物語は方向転換を見せ始め、子供を養育しなければならなくなった豪介も堅気の職へ就こうとし、それまでの生活を改める。「親子ほどの歳の差の微妙な恋愛、ときどき国際陰謀」という、この漫画の基本スタンスが確立する瞬間だ。

 物語の中盤で、豪介はフランス通信社の契約記者となり、安定収入を得るようになる。いっぽうマレッタは、かつての荒れた生活とはうって変わって、豪介の援助で名門女子校へ入学し学生生活を謳歌する。だが、かつて豪介が関わった裏の世界の人間たちは、そんな2人の事情などお構いなしに厄介な「仕事」を持ちかけ……。アイルランド共和軍の闘士から中東産油国の王族、KGBの幹部まで、およそスパイ映画に出てきそうなイカつい面子は何でもござれだ。だが、80年代欧州の政治経済情勢を丹念に織り込んだシリアスな作風が、それらを決して絵空事ではなく、血の通った人間の物語へと仕立て上げている。

 マレッタのルーツに関して、物語中で明解な描写はない。彼女がいかにして孤児になり、どういう経緯でブローニュの森へ引き取られたのか。大元を辿ればイタリアンマフィアの血統へ行き着く「かもしれない」ことが終盤のエピソードにおいて仄めかされているが、それもこれも憶測の域を出ない。こういった、読者を煙に巻くような演出も、コアな漫画読みの間では概ね好評だったようで、続編が待たれる要素のひとつでもある。もっとも、作者自身が往年のファンを煙に巻いて姿を消している現状では如何ともし難いのであるが(Wikipediaによると、御厨さと美は現在、東海大学の講師として漫画家稼業からは身を引いているそうである)。

 日系チンピラが主人公の仏版『レオン』というべきか、『龍が如く』をバタ臭くした感じというべきか。とにかく80年代当時、そして今もなお他に類をみないワン・アンド・オンリーの作風を武器に2年近くの連載を全うして伝説化した珠玉の漫画作品である。

 この作品は漫画文庫として再版されていると先述した。私は小学館BIG COMICS全7巻を所有しているので文庫版のほうは知らないが、ひとつ懸念がある。『裂けた旅券』というこの漫画、その辺の青年漫画よりもネームの量が多く、文庫化に際して非常に「読みづらい」漫画になってはいないか、ということだ。文庫版『ゴルゴ13』の読みづらさを思い起こしてほしい。最近100巻を超えたそうだが、コンビニで立ち読むたびに細かいネームをすっ飛ばしてしまう私がいる

 そもそもこの分野に関して私は、絵で見せるべき漫画作品を活字の携帯スタイルである文庫サイズへ縮小して良いものか、という疑問を常々抱いているのであるが、それはまあいいだろう。とにかく、文庫版が初見の読者諸氏がこの漫画に対して「小難しく読みづらい変り種漫画」という感想を抱かないことを祈るばかりだ。



  『裂けた旅券』
  1981‐1983年 小学館
  御厨さと美 著

『Papa told me』

Posted by AK on 12.2007 漫画   0 comments   2 trackback
きのう見た夢を憶えているか?
生活感に乏しい父娘の、プラトニックな近親相姦


 5年ほど前、新聞の書評欄に『Papa told me』が取り上げられていた。文系インテリたちの間で静かな人気、などと紹介されていて笑った記憶がある。ただのマニア受け漫画に大層な修辞をつけたところで、この手の「世間に違和感を持つ頭のイイ人たちのお話」は、ある種の人々の間でしか流行らないのに。

 主人公は的場知世ちゃんという小学生の女の子で、家族は小説家のお父さんが1人。早くに亡くした母親の記憶はおぼろであり、バベルの塔みたいな高層マンションに父親と2人っきりで住んで「自由で創造的な父子家庭」を目指す、というコメディタッチの連作短編漫画である。

 いわゆるハイソ(靴下のことではない)な父娘の他愛のない物語なのだが、初期のエピソードには父親がパチンコでフィーバーする描写などがあり、庶民感覚へ寄り添う優しさを欠かさない。もっとも、出玉はすべて景品に換えるなど、公序良俗への気遣いも織り込み済みという徹底ぶり。まさに至れり尽くせり、優しさ半ばのバファリンみたいな漫画作品だ。

 連作短編物ということで、各話の間に直接的な物語の流れはない。『アウターゾーン』のミザリィみたいな立ち位置にいる知世ちゃんが、あちこちで見たり聞いたり感じたりしたことを徒然に物語化しているのみである。もっとも、連載後半ではネタ切れを起こしたのか、主人公が1ページしか出てこないエピソードなどもちらほらと描かれるのだが。

 この知世ちゃんという子が、可愛くて賢くて元気でお喋りで繊細でリリカルでファザコンで……という、文字通り、絵に描いたような少女っぷりなのである。作者の英国フリークやアリスのモチーフが度々出てくることからも、ルイス・キャロルのあの童話の根強い影響下にあるのは間違いないだろう。彼女は、澁澤龍彦が言うところの「独身者の願望から生まれた美しいモンスターの一種」そのものだ。

 知世ちゃんには叔母がおり、名を的場百合子という。2人は「知世ちゃん」「ゆりこちゃん」とファーストネームで呼び合うシットコムの登場人物みたいな間柄だ。この叔母というのが、いい歳こいて仕事一筋のキャリアウーマン、「結婚は人間よりも制度との契約」がモットーの独身貴族であるから知世ちゃんも堪らない。的場親子のマンションをしょっちゅう訪れては「ウチの会社の新化粧品! 私が開発担当YO!」などと喧伝して知世ちゃんの熱い視線を受け、あまつさえ「ゆりこちゃんみたいになりたい」などと言わせてしまう罪作りな叔母である。

 当初はこの3人をメインに据え、1話完結の連作スタイルを取っていたのだが、連載を重ねるにつれてその他のレギュラー陣も充実して行く。幸薄メガネ美女の雑誌担当者、かつて市政に携わった隠居老人、どう考えても採算が取れていない道楽カフェの美人双子オーナー、幼少期のトラウマに戯れる売れっ子恋愛小説家、自家中毒気味の政治家の息子……。どうしようもない人たちばかり。掲載誌(今は亡きYOUNG YOU)にふさわしい奇人変人コンテストといった趣だ。ご自身がそうなのかどうかは知らないが、この作者は病人や酔っ払いを描くのが本当に巧い。

 とどのつまり、『Papa told me』は夢を食いつぶして生きる寂しい人々の群像劇なのである。20年近くの連載を通じて、その主題から外れたことは一度もない。

 連載が始まったのは1987年。今と違い、ヒラ社員が末は社長になれると信じられていた愚昧な時代であり、湾岸戦争のワの字もなかった平和な時代であり、意味もなく高騰する不動産価格にふわふわと浮かれていた白痴の時代であった。そこへ来てこの『Papa told me』は、やがて訪れるエゴの社会を先んじた予言的名著と言えるかもしれない。

 この作品の主題とバブル後の日本社会とに共通するのは、個人“主義”と呼べるようなイデオロギーを醸成せずライフスタイルだけを細分化させた結果、エゴを吐く肥満魚と誰かの吐いたエゴを飲み込む雑魚とが大海の上澄みで共存するという、海洋生物学的なビジョンである。「井の中の蛙」と違うのは、両者共に海の広さを知ってはいるが深さは知らず、鳥の餌となるまで空を見ることはない、ということだ。循環するエゴの環に大魚も稚魚も等しく生き、死んで行く。多様化がバラエティ以上の意味を持たず、競争も起こらない反ダーウィニズム的世界。

 この漫画は、そういう狭い生態系の中で繰り広げられるエンドレスな泥仕合という、きわめて末世的なムードを醸している。

 ひと頃、「癒し」というキーワードが各界で流行したことを覚えておられるだろうか。他人のセックスを眺めてマスをかけば気持ちがいいように、誰かの作った夢でシコシコとセロトニンを分泌すれば鬱やストレスが解消してハッピー花びら大回転、という具合のアレを。ご多聞に漏れず、『Papa told me』は「癒し系漫画」のレッテルを与えられ、あまつさえそのポジションに安住すらしていたように思う。

 ただ、癒しだろうが卑しだろうが、夢を楽しむには寝るだけでは足りない。深い眠りを避け、記憶力を研ぎ澄まさなければならない。見た夢を忘れないことが何よりも大切なのだ、という実践的なテーゼが、この漫画をただの夢日記から、それ以上のリアルなものへと脱却させることに成功しているように思う。

 2007年現在、27冊のコミックスと3冊の特別カラー版が集英社から刊行されている。ただし、昨年末に廃刊直前のYOUNG YOU誌上へ載ったいくつかのエピソードは、依然単行本未収録のままだ。作者は最近、アガサ・クリスティーのミステリ物を不定期連載していたと思うが、『Papa told me』のことは綺麗さっぱり忘れてしまったのだろうか……。「コーラス」あたりで読み切り短編として見かけたような気もするが……。

 ここでちょっとググってみた。どうやら活動の場を「別冊コーラス」へと移し、不定期に『Papa told me』の連載は続けているらしい。第28巻の刊行は、そう遠い将来の話ではないようである。

 なお、「PTM通」の一致した意見として、この作品のピークは単行本1巻から5巻ぐらいまでの間であり、安定した面白さが続く15巻あたりを境にマンネリ化したことを付記しておく。20巻をしばらく過ぎたあたりで絵柄の刷新を図るも、往年のファンの間では概ね不評なようだ。

 同タイトルのNHKドラマの話はしない。あのドラマを知らない方は幸せである、と言うに留める。「余計なことを思い出させやがって」と憤慨した古参ファンの方がいれば、苦情は右のメールフォームから受け付ける所存だ。



  『Papa told me』
  1987‐2007年 集英社
  榛野なな恵 著

『ダブル・トラブル』

Posted by AK on 23.2007 漫画   0 comments   0 trackback
スーパーで拳銃が売っている民主国家
殺されずに裁判を受けられる犯罪者は何人いるだろう?


 米国には「アンバーアラート」というシステムがある。児童誘拐事件の発生に際して全州へ警報を出し、あらゆる方面から情報を募るというものだ。

 誘拐の被害に遭った児童の7割が事件後3時間以内に殺害されるという同国にあって、事件は時間との戦いでもある。加害者は何も重度のペドファイルとは限らない。義理の両親や実の両親による親権紛争、見知らぬ他人による営利目的の誘拐も多い。また、ペドフィリアの持ち主でなくとも児童に性的暴行を加えて死亡させるケースが頻発している。このことからFBIの捜査システムでは、無害なペドファイルと実際的なチャイルドマレスター(児童性虐待者)とを分けて運用しているのだという。

 Wikipedia日本語版には以下の記述がみられる。

 “小児性愛者だからといって必ずしも子供にみだらなことをするわけでもなく、また小児性愛者でなくとも子供にみだらなことはする。”

 TVやラジオはすべてのプログラムを中断して特別報道番組を組み、ハイウェイの電光掲示板には速報が流れ、地元警察へのホットラインがフル稼働する。重大な犯罪捜査はこっそりひっそり、という我々日本人の常識では計り知れないシステムだ。現実的な捜査手法といえば聞こえはいいが、とどのつまり、米国社会はこの手の事件に関して相当切羽詰まっているのだと言えよう。『千と千尋の神隠し』の英題はSpirited Awayだが、直訳で公開しなかった理由が言語的なこと以外にあるのではないかと邪推してしまう。

 多田由美という漫画家は、デビュー以来一貫してアメリカの風俗を描き続け、しかもそれが比較文化的に破綻していないという稀有な才能の持ち主だ。彼女の描くアメリカ郊外の風景は、小田扉が描く集合団地の軒並のように自然で、屈託がない。それは人物造形にも同じことが言える。台詞回しに戸田奈津子の翻訳文体を取り入れているというが、副詞や形容詞が極限まで削ぎ落とされた「アメリカ人」たちのダイアローグは、現実のそれよりも「アメリカ的」である。ちなみに、外国映画を字幕で見る文化を持った国は、日本以外にそう多くないらしい。

 彼女が1991年に描いた短編『ダブル・トラブル』を、私は何度も読み返している。物語は単純だ。母親の面影を追って刃傷沙汰を繰り返す切り裂き魔アルヴァロが、ふとしたきっかけで小さな女の子をさらってきてしまい、同居人の説得で彼女を家に帰してあげるという筋。ここに登場するジュリーという少女が、失礼ながら、多田由美の描いたキャラクターとは思えないほどに可愛い。「プレイボーイ」誌の表紙モデルと見紛う台風みたいなプロポーションを誇る、多田由美の普段の女性キャラとは一線を画する幼女っぷりなのである。これはすごい。多田女史の身に何が起きたのか。ジェリービーンズを食べ過ぎてペン先が滑ってしまったのではなかろうか。

 物語中、少女ジュリーを真横から見た構図が描かれている。顎をちょっと引いて、腹部をポンと突き出した格好。なんという通好みな描線か。多田女史は、このコマをして私のような変態漫画読みを挑発しているのかもしれない。この「顎を引いてお腹を突き出す」というポージングは、小さな女の子特有のものだ。特にお腹に関しては、幼児期は骨盤が前傾しているため、特に意識せずとも自ずとそうなっている場合が多い。幼児の腹を大人のそれと同じように描く漫画家は、実際の子供をデッサンしたことがないモグリであると私は思っている。

 矢代丸治というライターが、単行本の解説で「筆者はロリコンじゃないですけど」と前置いた上で、「多田さんの描く子供ってみんな可愛いですよねぇ」と書いている。「みんな」と書いてはいるが、多田由美が子供を描くことはほとんどない。さらに「多田さんは子供の絵を描いている時、笑っているんじゃないかな」などと締めており、これも非常に気味の悪い文章だ。全裸にコートを羽織って、小学生の通学路でご開帳していそうな文章。こういう気持ちの悪い文体でライターができるのなら、私は明日にでもライターとして食べて行けそうな気がする。ところで、矢代サンをGoogleで検索してみたらフルネームが5件ヒットした。有名なようで何より。

 さて、短編『ダブル・トラブル』は、物語の筋から想像できるように、何とも悲劇的な結末を迎える。無粋を承知で書くと、「悲劇」の当事者はジュリーではない。同居人の勧めで彼女を家に帰すことにしたアルヴァロが車を走らせ、彼女のホームタウンへ到着するも、現地にはすでに警官隊が待機しており……

 リアルすぎて鼻血が出そうな漫画だ。『龍が如く』が身寄りのない女の子を方々へ連れ回した挙げ句にハッピーエンドな分、こちらはあくまでも実録タッチである。たった1人の変態犯罪者にショットガンを携えたSWATが投入されるのだから、アメリカは今も昔も「普通の国」じゃないことが分かる。

 ただ、この漫画はそういう社会的なことをテーマにしている作品ではない。切り裂き魔アルヴァロの生い立ちと、彼が人間性を取り戻す過程が、幼女誘拐という形を取って現出しているに過ぎない。もっとも、そうして取り戻した「人間性」が、広く世間へ受け入れられる形へ昇華する前に打ち砕かれる、という後味の悪さは如何ともし難いのだが。



  出典 多田由美短編集「ベイビー・ブルー・アイズ」
  2001年 河出書房新社
  多田由美 著
 HOME 

バックナンバー

ジャンル

ブログ内検索

プロフィール

AK

Author:AK

しりとりしようぜっ!
まず俺からな。

「ロリコン」


励ましのお便り

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。